ひとりで戦うことをやめて過食症を克服した風俗嬢のブログ

下剤と利尿剤を乱用し、1日7回過食嘔吐をして意識不明になった私が伝えたいこと。

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勇気を出して母へ手紙を書きました

 

 

 

母とは、1番大事なことは話せないでいた。

 

 

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( 5年前 )

 

 

  

週1で会うし洋服もシェアするし誰よりも波長が合う、年の離れた姉のような存在。

 

 

でも、過去のことや別れた父のことを口に出すのは、なんとなくタブーで、いつの日かそれは2人の中で

「暗黙の了解」となっていた。

 

 

 

 

 

 

大晦日わたしは勇気を出してぶち破った。

 

20歳という区切りってことで手紙を書いたのだ。

その場で読んでもらい、初めて腹を割って話をした。

 

 

 

 

 

 

 母の葛藤と悪循環

 

実家から離れるためだけに12歳上の変わり者の父と急いで結婚した母。

 

モテる父はよそに女と子どもを作り母はまだ幼い子ども2人を残されて結局実家にとんぼ返り。

 

 

 

きっと戻ってくるだろうと信じて待っていた父にはキッパリ突き放されて自暴自棄。

 

 

そんな中、寂しい思いをしている子どもの為を思ってしてきたことが、ことごとく逆効果。

 

 

 

 

 

さらには

当時思春期の長女(わたし)の長い長い反抗期。

苦手な母(祖母)からの、とてつもない圧。

 

孤独と自己嫌悪で押し潰されそうな母は、またよそで寂しさを埋めた。

 

 

 

 

 

 

 

遠回りはしたけれど

 

 

あんたたち子どもを見くびっていたと言われた。

 

さらには今までのわたしの粗相から過食症に至るまで、すべて自分が原因だと。

 

 

 

 

でも、若くて世間知らずだったとはいえ、当時は母なりにたくさん考え、たくさん悩み、もがき苦しみながらも、精一杯やってくれた。

 

 

 

ただ、できれば、もっとはやくにちゃんと話すべきだった。

 

 

絶対に分かり合えるのは分かっていたはずなのに、ずっとお互い逃げてきた。

ちゃんと向き合うのは怖かった。

 

 

 

 

 

てゆうか、うちら母娘、三代に渡る確執があったとは...。

 

 

 

 

もちろん、あの時間を無駄だとは思ってない。

 

たくさん遠回りしてしまったけど、これからはやっと普通の母娘」でいられる気がする。

 

 

 

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