【結果】ひとりで治そうとするのは無謀
一言でいうと、生き地獄でした。
約3年間の生き地獄を経て、完治に向かっているわたしが今言えること、
さらに過食症に陥った経緯なども簡潔に書いていきます。
結果
- ひとりで治そうとするのは無謀。
- 完璧主義や極端な思考のままでの完治は難しい。
- 摂食障害は表面的なもの。変わらなきゃいけないのはもっと奥の土台の部分にあって、摂食障害はそんなわたしたちへの試練。
- 1番大事なのは治したいという強い意志
気付いたら、深みにはまっていた
そもそもわたしは、物心ついたときから躁うつ病だった。
高校3年生の春、ピルの副作用で激太りした。
( ちなみにピルで激太りしたのは2度目 )
それがきっかけで断食を始め、ものの2週間で10kgの減量に成功。
その頃にはすでにガムすら食べれないほどになっていた。
それが始まりだった。
もうそうなってからは早かった。
反動で過食。
さらに過食嘔吐。
あっという間に「摂食障害」という渦に飲み込まれ、後戻りできないところにまできていた。
ピルはきっかけに過ぎない。
原因はわたしの奥の方ですっかり凝り固まってしまった土台の部分にあった。
あのタイミングでピルを飲んでいなくても遅かれ早かれ、わたしはこうなっていた。
たまたま「過食症」という形で表に出てきただけ。
これはわたしが土台から変わるための試練。
「明日こそ、死のう。」
それからの3年間は本当に長かった。
この頃にはもう完全にネジが飛んでいたわたしは、太ること以外に怖いものなんてなかった。
「明日は死のう、明日こそ死のう」
四六時中、考えていた。
「何かあったら死ねばいいや」と投げやりだった当時のわたしは、今思うと相当破天荒だった。
誰にも話さずにひとりきりで戦った。
話さなかったのではなく話せなかったのだ。
人から誤解されるのは慣れっこだけど、少し悲しかった。何よりも孤独だった。
ある意味体重が増えることや物理的な痛みよりも辛かった。
今だから断言できる。
ひとりで治そうとするのは無謀だ。
直接的なサポートなんてなくても、心の拠り所があるだけで全然違う。
血まみれになりながら狂ったように吐く
気を抜くと、どんどん悪循環に陥る。
思わず死を意識してしまうような激痛や動悸。
喉、食道、手の甲、あらゆるところが傷付き、
血まみれになりながら、狂ったように吐く。
さらに仕事どころか、もはや人に会えない。
家にいても何もできない。何の活力も湧いてこない。
過食嘔吐と、ほんのわずかな睡眠に生かされる毎日。
さらには夢の中でも過食嘔吐していた。
飛び起きて急いでトイレに駆け込むけど唾液しか出ずに、そこで初めて夢だったことに気付く。
部屋は散らかっていくし風呂にも入れない。
人としての生活もままならなくなってきて
初めてこのままでは駄目だと気付く。
治したいという強い意志を持って劇的に変わった
「絶対に過食症を治す」
そう決意してからは
小さな小さなきっかけ達が、ゆっくり、だけど確実に、
わたしをいい方向に運んでいってくれた。
多くて1日7回していた過食嘔吐が
今ではやっと週1ぐらいに減った。(波はあるけど)
よそで発散できるようになってからは、虚しさや心の穴を食べ物で埋めることはほとんどしなくなった。
徐々に過食嘔吐を必要としなくなっていったのだ。
過食嘔吐という松葉杖に依存していたわたしは、今やっとひとりで歩こうとしている。
過食嘔吐はものすごくエネルギーを使う。
だけどもうこれからは、そのエネルギーを全部自分の好きなことに使うことができる。
全身から力がみなぎってくるのが分かる。
有り余ってしょうがない。
過食症を完治させたわたしは、無敵だ。
だってあんなに苦しい生き地獄を乗り越えられたんだから、もう何も怖いものなんてないでしょ?